『成長神話』に関連して

いろいろなエコノミストの記事を読むが、資本主義の本質にせまる
話は全くない。
しかし先日の日刊・東商工リサーチリサーチに載った福山清人氏の
コラムでは、まさにそこが本質というポイントを指摘された。
*成長至上主義を抜け出せない理由 福山清人
  経済を読む ~日刊TSR 12月2日巻頭コラム

現代日本人が『科学信仰』と共にもっとも根深く持っている信仰が
『成長神話』だ。
私はそれを否定したい。
なぜ『成長神話』がでてくるのか?
それは「短期的利益の極大化」戦略からくるものではない。
「短期的利益の極大化」戦略は選択肢がある中でどれを選ぶかという
選択の一つに過ぎない。

なぜ『成長神話』がでてくるのか?そのおおもとは平川克己著
「グローバリズムという病」
でこう説かれているという。(福山氏)
「成長の止まった国民国家は、成熟国家として定常経済へと向かう
はずだったが、現実には相変わらず、右肩上がりを前提に物事が考え
られているのは何故か?」「国民国家の殻を破って、外に外に自己利益の
あくなく拡大を目指す株式会社の存在」である。
『資本主義の終焉』の著者・水野和夫氏が指摘しているように、資本を
効率的に蓄積するシステムとして誕生した株式会社は、資本主義社会に
不可欠な機能だろう。その株式会社の存続の前提である右肩上がりの
経済成長の否定は、その自己否定となる。
出資金が変わらないあるいは減少すると分かっていて、いったい誰が
その会社に出資するだろうか。
「定常経済」を社会が受け入れられない理由は株式会社の成立にあった、
という論
だ。
これこそ本質論だ。

平川氏は、池田隼人内閣の経済プランナーだった経済学者の下村治の
次の言葉を引用しているという。
「経済のために人間があるのでなく、人間のために経済がある」
「保護主義こそ国際経済の基本ではないだろうか」

「人間のための経済」という言葉は先日亡くなった思想家・宇沢弘文を
思わせる。


福山清人氏のコラムに触発されて「グローバリズムという病」を読んでみた。

平川の著作を読んでみると、深い理解と本質的な指摘の鋭さに
驚かされるが、論理で組み立てて主張を構成するところがないので、
力が抜ける思いだ。 何か老人が自分の通ってきた過去を振り返り
懐かしむ感のある「感想文」を読んだ感を受ける。
洞察は非常に鋭いのだが‥

平川の「定常経済」を受け入れられないのが株式会社という資本供出
=利益還元の仕組みにあった、という指摘は鋭いが、
日本型の株式会社と欧米の株式会社の違いを振り返ってみると、
別な見方もできる。

株式会社のステークホルダーは株主だけではないが、
欧米の株式会社では株主=資本家の力が非常に強く、利益を上げられ
なかった経営者は株主が簡単に追い出され、
より利益を上げそうな経営者に挿げ替えられる。
他のステークホルダーが意識されるのは消費者や社会に対する
コンプライアンス(企業倫理)にかかわるときのみである。
これに対して日本型の株式会社では株主は大きな経済的社会的損失を
出さない限りは株主はモノを言わない。
滅多なことでは議長を解任したり経営者を交代させたりしない。
日本では株主以外に従業員や地域社会、消費者も
ステークホルダーとして強く意識されているので、株主だけが
会社を動かせるとは認識されてこなかった。


日本型株式会社では利益より売上が重視され、利益成長より売上成長、
成長がない時には雇用確保が「公益」として重視されてきた。
売上が伸びなかったりいつまでたっても営業利益率が1~3%に留まって
いても、誰も文句は言わなかった。
平川氏の指摘自体は正しいが、日本では短期的利益の追求要求が
株主からなされなかったために、長期安定的な経営をしてきた。
言い換えれば常に利益を出し続けるのでなく、いい時にはしっかり稼ぎ、
とても利益が取れない時期でも安易に従業員のカットはしなかった。
短期的利益を追求する株主が支配する企業では、日本的な長期的な
研究開発投資はありえない話だ。
また業界横並びで同じような研究開発をすることも、他社を
凌駕して単独の利益を最大化する要求からするとありえない話だろう。

それも小泉政権での雇用の自由化(非正規労働者の公認)以降
変わったとみることはできる。
従業員を生活者として見ずコストとして見る傾向が強くなったように
感じる。
しかし、依然として欧米の企業とは大きく異質である。

日本企業のこれまでを見てくると、成長神話にかられて来たとは言えない。
バブル崩壊までは、確かに「成長」が目的だったし「美徳」でさえあった。
しかしそれ以降、売上を保っていれば利益はそこそこでいいという
態度の企業はかなり多い。
富士通、NECなどは大型計算機と半導体のメーカーだったが、
それらの産業が消失して、怪しいソフトウェアの会社になって
国際的な価値を何も生まなくなっても、
資本家は株式を売ってしまっていない。
同じような事業を持っていた日立や東芝は方向転換に成功して
株価を上げているのだから、富士通やNECの株を売って日立や東芝を
買うのが経済合理性だが、そうはなっていない。

日本の株主は欧米企業の株主とは異なる経済価値を持っている
といえるのではないか?

もう一度主題に戻って、株式会社を基盤とする資本主義だから
株主は常に売上成長または利益成長を望んでいる、そのために
『成長神話』から抜け出せない、というのは概念的には正しそうに見えて、
現実はそうではない。
しかし、一方消費者や企業家たちは「景気回復」を政治家・政府に
熱望している。
これは事実だ。
選挙ではより「景気回復」に期待が持てる候補・政治家が勝つ。

問題にすべきなのは、今のような日本では国全体の成長率を上げる
などという政策があり得ないという現実と、国民の意識の
認識ギャップ
だろう。
これについて今後検討していきたい。


もちろん、国が何もできないということではない。
産業振興はしなければならない。
しかし、為替レートや原油価格を政府や日銀がコントロールするのは
至難の業だし、デフレからの脱却でさえ相当な困難を伴う。
今年、日本に続いてEUがデフレの危機に直面しているが、
日本をお手本にして回避できると考えるエコノミストはほとんどいない。
打つべき手が限られており、ほとんど手詰まりと言っていい状況なのだ。

そんな状態の国の経済において、従来と同じ雇用(失業率)を保って
数%の成長率を生み出す政策はほとんどあり得ない。
米国やIMFはグローバリズムの名のもとに「規制緩和」をしつこく迫るが、
それは人件費をカットして競争力を高めるというお題目とは裏腹に、
ただ単に米国の産業により有利にするだけの方策で、
成長率には何の寄与もないことは間違えない。


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