闘戦経と戦後日本人の思考停止

無意識に浸っていて何故とも問わずに当たり前のようになっていることが、外国では珍しく、特異であることを知って驚くということがある。

日本人が東日本大震災のような極限的に困難な状況でも騒がず秩序を失わずコンビニの崩れ落ちた商品を棚に戻し、列を作って必要なものだけを買って去る姿は、欧米諸国だけでなく世界中から称賛された。

日本にも「火事場泥棒」という言葉があるのだから空き巣や窃盗もそれなりにあったと思うが、大多数は秩序を保ち続けたはずだ。

欧米人はそれを「他者を思いやる気持ち・精神が強いから」と理解したかもしれない。
あるいは単に「非常にまじめだから」と理解したかもしれない。

日本では買い物でも電車でもバスでもタクシーでも列を作って並ぶというのが当然の習慣だから、誰も割り込みはしない。日本人にとってはそれだけのことだ。(関西では必ずしもそうではないというのは僕の偏見か?)
割り込む行為は「卑怯」であり、卑怯者と呼ばれるのは「恥」である。
「恥の文化」があるから、そうさせないともいえる。
日本人のその源流が何なのかは今まで問うたこともなかった。
海外ではそうでないのは、何故なのか?
「騎士道」というのはある階級にしかないマナーに過ぎないのか?

日本人はまじめだと言われる。
だが、世界でまじめさでは一番近いと思われるドイツでも、大災害の困難な極限であのように秩序を保つことは不可能で、暴動が起こると言われた。
真面目だからだけでは説明できない。
日本人には血液型がA型が多いから真面目な社会になっている、とはとても言えない。
日本人の血液型はおよそO、A、B、ABの順に40,30,20,10%だが、
ドイツだけでなく、ラテン系のスペインやフランスでもA型が最も多く43~45%、次がO型で38~43%とむしろA型の方が多い。ドイツでさえ暴動が起こると言われているぐらいだから、いざというときにはラテン系の方がもっと混乱するだろう。
この社会の秩序を支えているものは血液型ではなく、より文化的なものだと考えられる。

個人主義の社会では個々の主張がより強いことも考えられる。
ドイツは個人主義でかつ全体主義社会であるように思われる。
日本人はそもそも個人主義文化がない。
自分一人だけが突出することを避け、調和すること協調することを良しとする背景がある。
「出るくぎは打たれる」というのは一人だけ目立つことを戒め「空気を読む」ことを求めるという、僕の嫌いな同調圧力の強い社会的性向から来ているように思う。
しかし、「卑怯」という言葉に含まれる非常な嫌悪感はまた違う面からくると思われる。


「ズルをすること、ウソをつくこと、騙すこと、は非常に悪いこと」とされているのは、教科書のどこにも書いていないが、この社会の最も強いポリシーかもしれない
教科書に書いていないのにこれだけ広く浸透しているのはどういうことなのか?
おそらく、家庭のしつけなのだろう。
子供のころ多くの人は母親に「嘘つきは泥棒の始まりよ」」と叱られたのではないだろうか?
ただそれだけで、ここまで社会の隅々まで徹底していることを説明できるのだろうか?
小中学校の学習指導要領の中に「うそをつくこと、策を弄することを忌避する」、「他者を思いやる」よう指導することになっているのかもしれない。(『いじめ』がなくならないことから、後者に関してはそれほど指導できていないのかもしれない)
あるいは学校で指導する教師たちもそういう社会のポリシーで育ってきたから「卑怯」がどういうことか、それだけは学校生活の中で何かにつけて念を押す傾向があるのかもしれない。
数世代にわたる「しつけ」がこの社会のポリシーをここまで徹底させたとみるべきなのかもしれない

中国では役人が何億円の賄賂を受け取っても何も言われないが、日本ではだんだんエスカレートしてきて、最近では50万円受け取ったというだけで経産省大臣が首になった。
贈収賄は「ズルをすること、ウソをつくこと、騙すこと」に当てはまるのだろう。
公人(公の人)は市民がやってはいけないことをやってはいけない、ということだ。
最近のニュースではどこかの市長と副市長がかけマージャンをやったという理由で非難され、辞任した。
それは表向きとしては当たり前の社会である。
それそのものは正常だが、むしろ日本の政治のクリーン度合は欧米よりはるかに劣るといわれる。
オリンピック委員会の業者との結託のおかげで6000億円の予算が2兆円まで膨れ上がった五輪計画の件といい、歴代都知事や都の役人と業者の怪しげな取引のおかげで絶対安全でないような土地に建物を建てて移転を強行されようとしていた築地市場の件と言い、この国の政治の荒廃を誰は否定できないだろう。こういう組織ぐるみの収賄犯罪の場合、この国では責任追及もままならないらしい。


さて中国人や韓国人と日本人が決定的に相入れないのが、この点だ。
彼らにとっては「ズルをすること、ウソをつくこと、騙すこと」は全く悪いことではない
のだ。
貧しい農民から国家元首まで、うそをついてもいい、ズルしてもいい、勝ったものが勝ちという価値観なのだ。
この点は完全Perfectに不一致だ。
ピアズベリーの『CHINA2049』ナヴァロの『米中もし戦わば』を読んで強烈に思い知らされるのは、中国が米国と国際社会をどれだけだまし続けてきたかということだ。

米国や欧州諸国は最初はウソだと分かっていて、ただ相手のウソに乗ってやっていただけだったのかもしれない。ただ結果的には相手を馬鹿にして、見くびっていただけだった。
当代きっての戦略家の一人ルトワックは『自滅する中国』で、2000年前の陸続きで隣接する国家間で作られた『孫子』などのカビの生えた戦略などが現代の海洋国家間で通用するわけがないと馬鹿にして切り捨てていたが、そうやって侮っていた本人たちが完膚なきまでに騙されてしまってきたわけだ。
それでも仮にそれがウソでも、当面経済的に儲かればいいだろう。いざとなったら武力で脅かせばいい、そう高をくくっていたはずだ。
ところが、これほどまで徹底的に軍事機密を盗まれ急激に最先端技術で追いつかれ、しかもびっくりするような非対称兵器を開発されてみると、気が付いた時にはこぶしを振り上げることさえ困難な状況になっていた。
このままでは勝てない
台湾が侵攻されようが沖縄が侵攻されようが、米国が米国本土に何の犠牲も払わずに中国を打ち破る方法がない


おそらく欧米社会でも表向きは「ズルをすること、ウソをつくこと、騙すこと、は非常に悪いこと」であり、国際社会のルールはそれを前提に作られているが、現実には世界の覇権を握ってきた米国の歴史はまさに、ウソをつくこと、騙すこと」である。
ハワイはそれで乗っ取られたし、日本はそれで戦争をさせられた。さらにはそれでバブル崩壊させられた。イラクはそれで(大量破壊兵器など何もなかったのに)踏みつぶされた。
イギリス、フランスがオスマントルコを倒した後、パレスチナの国を作るとの約束を反故にしてユダヤ人と取引し、ユダヤの国を勝手に作ったのもそういう例だ。
だから欧米も日本と同じだとはとても言えない。

だが、日本人だけは国際社会の中であまりに真っ正直ないしは馬鹿正直だったのかもしれない。
第一次大戦後国際連合に人種差別撤廃という正論をを一人主張し、つぶされた。
子供向けの漫画では「正義は常に勝つ」と主張されるが、国際社会にはそんな非常識はない。

近代の国際社会におけるこの日本人のまじめさ、馬鹿正直さ加減は目を覆うばかりだ。
策略も何もない。


さて、この文章の主眼は近代国際社会における日本の馬鹿正直の失敗の連続がどこからくるのか、ということだ。

それは代々の家庭の中での『しつけ』だけではなかったはずだ。
この社会ポリシーは人々が感動し共鳴する物語に植え付けられてきたはずだ。
それは「楠木正成」や「赤穂浪士」や「乃木希典」といった美化された英雄伝説だったかもしれない。
彼らのズルをしない、謀をしない、ウソをつかない、ただ志をもって一途に一生を遂げるといった物語が多くの人の共感を呼び続けてきたのだろう。

その源流はどうやら平安末期の兵法書『闘戦経』(大江維時または匡房の著と言われる)にあるらしい。
この日本最古の兵法書では中国から伝わる『孫子』の重要な部分を完全否定している。
孫子では「兵は詭道なり」「戦いの基本は敵を欺くことにある」としているが、『闘戦経』では「ただ勝てばいいというものではない。ズルをして勝っても意味がない。正々堂々と勝たなければ意味がない」とした。

どうも『孫子』の「兵は詭道なり」を否定した『闘戦経』が今の日本の社会ポリシーの源流のようである

もちろん、日本国内の戦いはどれをとってもズルも策略もなく常に正々堂々としたものばかりだったはずはない。
日本史史上最大の戦争・関ヶ原の戦いは徳川家康の謀略による小早川秀秋の裏切りであっさり片が付いた。
事実を踏まえれば家康、秀秋はズルをした卑怯者のはずだが、のちに作られた英雄伝説ではそういう部分は強調されない。

そもそも『闘戦経』は書かれてからすぐに全国に流布したわけでもない。
楠木正成はまさにその教えを受けたといわれるが、戦国時代、江戸時代と一部の武家や藩に伝えられた程度だった。ただし、戦前の海軍大学では『闘戦経』を講義に用いたようだ。
そういうわけだから、源流には違いないが、世の中に「ズルをすること、ウソをつくこと、騙すこと、は非常に悪いこと」というポリシーが徹底的に広まったのがいつ頃なのかは定かでない。
推測だが、日本で北朝鮮ばりの思想教育が徹底的に行われた第二次世界大戦中であったのではないか?

思うに一般庶民が武士道の美学を徹底的に叩き込まれたのもこのころかもしれない。
「武士は食わねど高楊枝」「清貧」「発つ鳥跡を濁さず」「桜のごとき潔い散り際」…これらは今の日本人が伝統的と感じる美学だが、江戸時代の庶民や商人、農民が皆が皆そういうモラルを持っていたとは信じられない。
午前中しか働かず、午後はプラプラと遊び歩いていたというのが江戸時代の町人の一般像だからだ。


ボクは日本人はそもそも洗脳されやすいのでは?と疑っている。
戦争中、新聞テレビといったメディアは完全に軍国主義一辺倒になり国民を完全に洗脳した。
米国に負けてGHQに占領されると、メディアは手のひらを返したように天皇制の維持と日本語の使用以外何もかも米国の言われる通りにしたが、これもそもそもメディアを構成する日本人すべてが権威または勝者に弱かったから何の抵抗もぢきなかったのではないか?それどころかGHQが去って何十年もたつのに未だにGHQの教えを忠実に守って、中国、韓国の批判はしない。南京大虐殺だの従軍慰安婦など、国益を最優先に考えるなら全メディアそろって一斉に反論するべき事象ではないか?朝日新聞など中国におもねる記事をねつ造して喧伝し続けてきた。真逆に洗脳されただけのことで、少しも賢くなっていない。
自分で情報を探し出してものを考える人間がいない国民のようである。
国民もメディアや大学などといった権威を疑いもしない。
これは「まじめ」かどうかの問題ではなく、欧米と異なる不必要な社会の同調圧力という全体主義敵傾向のなせる業なのかもしれない。
1億総思考停止という状態が戦後延々と続いてきた、というべきだろう。
安全保障に関して完全に思考停止してきた。
今となってはめちゃくちゃなハンディができてしまった。優秀な学生を集めたもろもろの大学の教授どもが防衛予算のついた研究開発を拒否するありさまだ。
そんな大学は国にとっては価値がない。
立派な研究開発で産業と経済に貢献するので十分だと?
その国の産業と経済の基盤は安全保障ではないのか?
チベットやウィグルのように占領され言論の自由を奪われ国際社会から完全に遮断されてもいいとでもいうのか?占領されたら好きな研究をさせてもらえるどころか、拒否しようものなら国家反逆罪で家族もろとも消されてしまうのではないのか?
思考停止した連中はそんな事態になるわけがないと「信じて」いるが、それは世界の歴史を何も知らないというのと同じだ。近代以降、ヨーロッパ諸国、米国、中国、ロシアが何をしてきたのか自分で調べ、理解するべきだ。


「正義は勝つ」「志をもって一途に一生を遂げる」「ズルをすること、ウソをつくこと、騙すこと、は非常に悪いこと」
国内はそれでもよいし変える必要はない

それまで社会党共産党、NHK、朝日その他のメディアにことあるごとにいじめられていた自衛隊は、東日本大震災ではまさに今の日本人の本領を発揮した。自分たちの家族をも顧みず「志をもって一途に打ち込む」を身をもって示し、昼夜を徹して被災者を救援し、行方不明者や遺留品を捜索し続け、復旧作業を続けた。彼らの献身がなければ東北は、巨大ハリケーンに沈んだルイジアナやハイチと同様未だに荒廃していたかもしれない。
福島原発の事故の直後、定年退職した高齢者約50名が決死の放水作業のために全国から集まり、身を挺して原子炉の冷却作業に当たったが、これは他国からは『世界を救った英雄』として称賛された。

しかし、国際社会で勝ち残るためにはこのポリシーではだめだ
「生き残ることができればいい」というのならら明日のチベットやウィグル自治区と自覚すべきだ。
「馬鹿正直でうそをつかない日本人だから簡単に騙せる」と思わせて思わせておくのはいい。
しかしこの思考停止を続けていては中国には絶対に負ける。
相手は「兵は詭道なり」の戦略・戦術を駆使していることを前提に対峙しなければならない。
中国は確実に100年前の恨みを晴らしに来る
最終ターゲットは日本ではなく米国だが、沖縄を含め地政学的に日本を落とす必要性は非常に高い。
数百発のミサイル(通常型と迎撃困難な超音速ミサイル)を日本の米軍基地に照準を合わせている。
今のPAC-3やイージス艦だけでは防げないと米軍専門家が認めている。
着弾したら、台湾、尖閣諸島、沖縄で何が起こっても米軍はすぐに支援できない。
そのミサイルの法話攻撃の前にGPS衛星を打ち落としに来るのだからいよいよまずい。
しかも米軍はこれまでの海洋国家最大の武器である空母を出撃できない可能性が高い。
中国の最新の対艦弾道ミサイルに恐怖しているからだ。
(本当はこれこそ「兵は詭道なり」のウソかもしれない。1600km離れた移動する艦船に命中させるという技術は尋常ではないし、ウイグル地区に専用の射撃訓練場があるにしても的中率は不明だ。1600kmというのは札幌から鹿児島までの直線距離に相当する。中国の沿岸からどれぐらいの範囲になるのか、その長さを地図上で確認してほしい)


ところで、日本で大学の名に値するものを作り直すなら、こういう歴史を振り返り、徹底的にディベートし、その場面場面でどういう戦略をとるべきだったか学生に徹底的に調べさせ考えさせ、優秀なものだけを集めて外交・防衛のみならず財政や国際金融といった専門家を養成すべきである。戦略の専門家こそ育成しなければならない。
教育というのは必要な情報にアクセスする能力を含めて「考える能力を高めること」である。
本に書いてあることを覚えさせることは教育ではない。そんなものは小中学生までで終わるべきだ。
今のとこと、日本にはそんな育成ができる大学はないから、優秀な学生はハーバード、オックスフォードあるいは米国海軍大学などに行くしかない。しかしそれでは日本についての勉強が足りなくなってしまうし、そうなるとなにより本当に日本のために仕事してくれるかどうかわかったものでない。
だからウソをつき人をだますことも戦略の一つと心得ている戦略の教師を米国からでも連れてこなければいけないだろう。
日本のことは心配しなくても米国がいいように考えてくれる
ワケがないだろう?


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