アインシュタインの警告 1.昔の日本人はどんな人々だったか?

 1.昔の日本人はどんな人々だったか?

1922年(大正11年)11月、アインシュタインが日本に招かれ、約40日を過ごした。
当時、特殊相対性理論を一般相対性理論に拡張して当時の物理学の頂点の一人だった学者を日本人は熱狂的に歓迎した。
一方、第一次世界大戦で疲弊したヨーロッパから当時いまだに<神秘の国>とされていた日本に来た物理学者は、一西洋人として西洋と大きく異なる日本人と日本の社会のあり方に感銘を受けたようで、
それを『アインシュタイン日本で相対論を語る』(アルバート・アインシュタイン著)に記録として残している。
それは『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』の伊勢雅臣という人の記事で見ることができる。

筆者は「こんなにすごいんだぞ」と日本人を自慢したいのではない。
筆者は上の記事を読んで、初めて「そうだったのか!」と『今の日本人が抱えるジレンマ』に気が付いた。
本ブログで<日本人とは>というタグを設けていたのは、実はこれに気が付くためであったのかもしれない。

アインシュタインはこう書いている。
(以下引用) (下線は筆者によるもの)
<もっとも気がついたことは、日本人は欧米人に対してとくに遠慮深いということです。我がドイツでは、教育というものはすべて、個人間の生存競争が至極とうぜんのことと思う方向にみごとに向けられています。とくに都会では、すさまじい個人主義、向こう見ずな競争、獲得しうる多くのぜいたくや喜びをつかみとるための熾烈な闘いがあるのです。
日本には、われわれの国よりも、人と人とがもっと容易に親しくなれるひとつの理由があります。
それは、みずからの感情や憎悪をあらわにしないで、どんな状況下でも落ち着いて、ことをそのままに保とうとするといった日本特有の伝統があるのです。
ですから、性格上おたがいに合わないような人たちであっても、一つ屋根の下に住んでも、厄介な軋轢や争いにならないで同居していることができるのです。この点で、ヨーロッパ人が非常に不思議に思っていた日本人の微笑みの深い意味が私には見えました。

個人の表情を抑えてしまうこのやり方が、心の内にある個人みずからを抑えてしまうことになるのでしょうか?私にはそうは思えません。この伝統が発達してきたのは、この国の人に特有のやさしさや、ヨーロッパ人よりもずっと優っていると思われる、同情心の強さゆえでありましょう。
たしかに日本人は、西洋の知的業績に感嘆し、成功と大きな理想主義を掲げて、科学に飛び込んでいます。
けれどもそういう場合に、西洋と出会う以前に日本人が本来もっていて、つまり生活の芸術化、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って忘れずにいて欲しいものです。>
(引用終わり)

小泉八雲などの著書で、一部の西洋人に知られていた「日本人の微笑みの謎」をアインシュタイン自身が、日本人学者などとの個人的な交流を通して、初めて自身で理解し納得した上での『警告』だった。
これは彼よりはるか以前の開国前後の日本に来た西洋知識人たちが言っていたことと同質のことを言っているように思う。


『逝きし世の面影 』(渡辺京二著)は、江戸時代後期、日本人はどんな人々だったかを訪日外国人たちが記録している衝撃的な著書だ。
この書物のタイトル自体、古く滅び去って失われてしまった社会を懐かしみ、悲しむ調子があるかもしれない。
開国以前の日本人とその社会を観察した西洋知識人は、日本人に出会い西洋にない人々の生き方に感嘆して記録を残している。
その中で自分たちの悪徳に気が付いていた者たちはしばしば異口同音に、<開国して西洋化してしまってはこの素晴らしさが失われてしまうのでは>と危惧を表明していた。
そしてアインシュタインの警告はこれらの延長線上にあるように思える。

『逝きし世の面影 』 は西洋化する以前の日本人と日本社会がどんなものだったかを伝える貴重なもので、未読の方は是非一読されたい。
時間のない人は次のようなYoutubeの動画でも概要を見ることができる。

西洋人たちは初めて日本人を見た時に、何に驚いたのだろうか?
現代の日本人とどこが違っていたのだろうか?
少し抜き書きしてみよう。(下線は筆者による)


1690年に長崎に来日したドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペルは将軍綱吉に謁見した人物だが、「この帝国を一個の礼儀作法学校と呼ぶも可ならん」と述べている。
また 日本人の「礼儀正しきこと」は「世界のいかなる礼法整いたる国民に期待しうるものにもまされり」としており、それが「いと賤しき田夫から、いとやんごとなき貴婦人、領主に至るまで」見られると指摘している。

(ケンペルの書いた『日本誌』と1775年に訪日したスウェーデンの医師・博物学者ツェンベリーの書いた『日本植物誌』はペリーなど幕末以降日本に来た西洋人の必読書になっていた。
ケンペルやツェンベリーは鎖国が日本を植民地支配から守ったと評価していた。

1958年英国の通商条約使節エルギン伯爵は、「彼らの嬉しげな、それでいて丁寧で恭しさをたたえた表情や物腰。われわれが英国で膨大な富をつぎ込んでようやく身につけるような上品さや垢ぬけた態度に南国の豊かさが重ねあわされている。 私は、かつて心に抱いていたあらゆる期待を完全に上回るなにかを、ついに発見したと感じた」と書いている。また彼ら一行の行列を見物に押し掛けた群衆について、縄一本引いただけで、そこからはみ出ずに見物する秩序だった群衆に驚いた。
(筆者注:現代でも「立ち入り危険」を意味するプラスチック製の鎖ロープ一本で日本人が立ち入らないという光景は、今でも西洋人に驚かれる。説明の看板も守衛もないのになぜ誰も入ろうとしないのかと。)

初代駐日大使タウゼント・ハリスはこう書いている。「日本人は喜望峰以東のいかなる民族より優秀である」「これまで見たどの国よりも簡素さと正直さがある」「柿崎は小さくて貧寒な漁村であるが、住民の身なりはさっぱりしていて態度も丁寧である。世界のあらゆる国で貧乏に何時もつきものになっている不潔さというものが、少しも感じられない」 「私は時としてこの日本を開国させ外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の幸福を増進させる所以であるか疑わしくなる

明治初期に来日した米国・動物学者のエドワード・モースは「貧乏はあるが、貧困は存在しない」と言った。
これは西洋社会では貧しいということはみじめな生活と道徳的堕落を意味するが、日本人は貧しくても礼儀正しく、道徳的であってまったくみじめにみえないといっているのだ。
※筆者注)貧乏・貧困が道徳的堕落に直結しない、犯罪にむずびつかないというのは、西洋のみならず世界のどこでも
 あり得ない話だ。そこに当時の西洋人たちが注目したのも尤もな話で、筆者もその理由を知りたい。
 ハリスの訪れた漁村では、浜に大勢の漁師の力で網が引き上げられると、漁師たちは市場に売れない小魚を、
 集まってきた体の不自由な人、働けない身寄りのない年寄りといった貧しい人たちに分け与えるという光景が見られたという。
 地域ごとに貧しいものが助け合い生活していたからこそ、道徳艇堕落に結びつかなかったのかもしれない。
 それでも疑問が残る。
 なぜ日本人だけはそんなことができたのだろうか? その行為はどこから来るのだろうか?

ハリスの通訳として来日したヒュースケンは「この国の質朴な風習とともに、その飾りなさを私は賛美する。
この国土の豊かさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑い声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを
見いだせなかった。私は、おお神よ、この幸福な情景が今や終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳を持ち込もうとしているように思えてならない」と書いている。


1889年(明治22年)に来日した英国人エドウィン・アーノルド(詩人、インド・デカン大学学長、編集長)の賛辞は詩的で長いが、敢えて引用しておく。
<日本には、礼節によって生活をたのしいものにするという、普遍的な社会契約が存在する。誰もが多かれ少なかれ育ちがよいし、『やかましい』人、すなわち騒々しく無作法だったり、しきりに何か要求するような人物は、男でも女でもきらわれる
すぐかっとなる人、いつもせかせかしている人、ドアをばんと叩きつけたり、罵言を吐いたり、ふんぞり返って歩く人は、 最も下層の車夫でさえ、母親の背中でからだをぐらぐらさせていた赤ん坊の頃から古風な礼儀を教わり身につけているこの国では、 居場所を見つけることができないのである。
(中略)
この国以外世界のどこに、気持よく過すためのこんな共同謀議、人生のつらいことどもを環境の許すかぎり、受け入れやすく品のよいものたらしめようとするこんなにも広汎な合意、洗練された振舞いを万人に定着させ受け入れさせるこんなにもみごとな訓令、言葉と行いの粗野な衝動のかくのごとき普遍的な抑制、毎日の生活のこんな絵のような美しさ、生活を飾るものとしての自然へのかくも生き生きとした愛、
美しい工芸品へのこのような心からのよろこび、楽しいことを楽しむ上でのかくのごとき率直さ、子どもへのこんなやさしさ、両親と老人に対するこのような尊重、洗練された趣味と習慣のかくのごとき普及、異邦人に対するかくも丁寧な態度、自分も楽しみひとも楽しませようとする上でのこのような熱心――この国以外のどこにこのようなものが存在するというのか
(中略)
生きていることをあらゆる者にとってできるかぎり快いものたらしめようとする社会的合意、社会全体にゆきわたる暗黙の合意は、心に悲嘆を抱いているのをけっして見せまいとする習慣、とりわけ自分の悲しみによって人を悲しませることをすまいとする習慣をも含意している。>(以上引用終わり)

『逝きし世の面影 』からは外れるが、第二次大戦の敵国であったフランスの詩人クローデルは 1943年に次のように述べている。
「私がどうしても滅びてほしくない一つの民族があります。それは日本人です。
あれほど古い文明をそのままに今に伝えている民族はありません」「日本人は貧しい。しかし高貴である」
彼は6年間日本に滞在した経験があったという。

アーノルドの「心に悲嘆を抱いているのをけっして見せまいとする習慣、とりわけ自分の悲しみによって人を悲しませることをすまいとする習慣」という表現は、東日本大震災の津波被災者たちの泣きも喚きもせず、淡々と列に並び、悲しみに耐えて佇む姿をそのまま思い起こされる。
アーノルドは明治24年の死者・行方不明7000人を出した濃尾地震の現場に行ったのかもしれない。
それでこのように見てないと書けない表現ができたのかもしれない。

この文章を読んで気が付かれた方もいると思うが、3.11東日本大震災の直後、国連などの間で話題になったチェーンメール『日本人から学ぶ10のこと』には同じ項目がある。

3.11東日本大震災は世界の(今日の)日本人に対する見方を決定づけたようにも思う。
あの時の日本人の冷静な態度、秩序だった行動は、チェーンメールがメディアに取り上げられたことで世界中の知識層、
一般人に知れ渡り、称賛を浴びた。
国連などの間で話題になったチェーンメール 「日本人から学ぶ10の事」


その姿は他の時期にも西洋人に目撃されていた。
開国前の安政の大地震(M8.4)のときには大津波で3万人が死亡しているが、 「日本人は落胆もせず、雄々しく仕事にとりかかっていた」と ペルリ提督日本遠征記に書かれている。
明治初期に来日した前出のモースは横浜大火のあと、「老いも若きもまるで祭礼でもあるかの如く微笑みさえ湛えて復興に歩みだしていた」と驚きをもって記している。

日本人の災害時の秩序ある行動様式は少なくとも江戸末期から変わっていないのかもしれない。


アインシュタインなどが恐れたのは、(一般の)日本人には西洋人にはない優れた美徳-礼儀正しい、品位がある、盗まない、相手を尊重する、謙虚、質素だが生活の中に芸術がある、自然と一体となった生活-があるということ、それが西洋化(個人主義、競争的社会、強欲)によって失われてしまってはいけない、ということだっただろう。

言葉のくくり方は難しく、筆者の能力では一言では表現できない。
伊勢雅臣というネット記事の著者は西洋人にない日本人の伝統的な美徳を『和を以て貴しとなす』によるものだとしている。
そういう部分は確かにある。
しかし日本人の道徳性はかつて西洋人をここまで驚嘆させた普遍性と堅牢さを持っていたのであり、
その言葉だけでは説明できないように思える。


明らかになった課題・疑問
なぜ多くの日本人は礼儀正しいのか? 相手を尊重するのか?同情心が深いのか?
なぜ多くの日本人は正直なのか?盗まないのか?約束を守ろうとするのか?
いつからそうだったのか?
なぜ賤しい田夫からやんごとなき貴婦人まで広く同じ道徳性を持つようなことができたのか?
なぜ日本人だけは貧乏であっても道徳的堕落がなかったのか?
それに対して今の日本人は何が変わらず、何が変わったのだろうか?

これらをひも解くことが「日本人とは」を問う重要な視点であると思う。
今回のシリーズは、この問いへの向こう見ずな挑戦…の第一歩になるかもしれない。

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