アインシュタインの警告 2.西洋化の後、日本人はなにをしてきたのか?

1.昔の日本人はどんな人々だったか?で見たように、幕末から明治にかけて西洋人が見た日本人は、
彼らの文化から想像できない別の文化を持っていて、それはひどく称賛されていた。
彼らが称賛したのは礼儀正しい、品位がある、盗まない、相手を尊重する、謙虚、質素だが生活の中に芸術がある、
自然と一体となった生活、貧乏でも道徳がある、といった賤しい田夫にまで広く行き渡った美徳だった。
それらはアインシュタインが警告したように、個人主義で、向こう見ずな競争をし、獲得しうる多くの
ぜいたくや喜びをつかみとるための熾烈な闘いといった<悪徳>を持つ西洋化によって失われてしまったのだろうか?

英国人エドウィン・アーノルドが 「地上で天国(パラダイス)あるいは極楽に最も近づいている国だ。」「その景色は、妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、その神のように優しい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは、謙虚であるが卑屈に堕することなく、精巧であるが、飾ることはない。これこそ日本を、人生を生き甲斐あらしめる。ほとんどすべての事に置いてあらゆる他国より一段と高い地位に置くべきである。」
とまで称賛した日本と日本人は、地上から姿を消したのだろうか?

今の日本は世界の中で非常に特殊なポジションにある。アジアの中でいち早く西洋化し西洋諸国と共に歩んできたために、西洋諸国から見ると日本はアジアをみる「窓」であり、また自分たちとは異なるが理解できる先進国の仲間となっている。
一方、日露戦争で勝利したことが有色人種の国が白人の大国に勝てることを示したということで、ロシアやイギリス、フランスに痛めつけられてきた歴史を持つトルコをはじめとしたイスラム諸国に尊敬されている。
大東亜戦争をきっかけに東南アジア諸国、インド、さらには中東、アフリカ諸国までが西洋諸国から独立を勝ち取ることになり、それらの国々の人々から感謝されている。

最近、国としての国際的評価は、一時期のエコノミックアニマルと呼ばれた高度成長期よりはるかに高くなっている。
NewSphere Jan 24 2019

「企業家精神の高さ」はともかく、「文化的影響力の高さ 」はなんのこっちゃと思うかもしれない。しかし考えてみるとアニメやまんがの影響力は世界中で絶大だし、寿司、ラーメン、うどん、おにぎり、ベントウ、枝豆、日本酒などとさまざまな和食が世界に拡がりつつある。
サウジなど中東諸国は「改善」という日本社会の文化紹介TV番組に熱中しているし、戦前からあった「交番」というシステム、
子供に掃除させる日本式の学校システム、なども徐々に各国に輸出?され始めている。
天皇制、神社仏閣、着物といったユニークな伝統も多くの国に認識され、それを保持していることに関して憧れ、尊敬を集めている。
また前節で取り上げた「日本に学ぶ10の事」も大きな影響(衝撃という影響)を与えている。
SNSやYoutubeなどのIT技術の普及が日本と日本人に関する情報の拡散を加速している。

日本と日本人の残してきた足跡
ここで今一度、西洋化した日本がどんな歩みをしてきたのか振り返ってみたい。

米国の人種差別に苦しんでいた黒人社会でも長らく日本は「有色人種による、有色人種の、有色人種のための国」として希望の国とみなされていた。開国して以降日本人はなぜか伝統的に人種差別をしなかった。
1919年第一次世界大戦後の国際連盟立ち上げのパリ講和会議に『人種平等の原則』を入れるという提案を掲げて乗り込んだ日本全権使節団に、黒人社会は(本国である米国使節団をパスして)直接嘆願書を渡して期待した。
結果は米国大統領に拒否されて取り入れられなったが、それへの反発で全米で大暴動がおこった。
そのほかの経緯は以下の動画にまとめられている。

そもそもまだ富国強兵の途上にあった日露戦争の10年以上前にも、ハワイ王の明治天皇への要請が伏線になって、ハワイを武力で乗っ取ろうとする米国に対して日本は東郷平八郎の軍艦を派遣し「武士道精神」を示している。

人道的な救出劇もある。1920~22年のシベリア・ポーランド孤児救出劇だ。
当時シベリアには、米国、イギリス、フランス、イタリア、そして日本が出兵していたが、シベリアに流れ着いて困窮していたポーランド孤児の救出要請にこたえたのは、ポーランドには縁もゆかりもない日本だけだった。
次の元ポーランド大使の物語は何度読んでも涙をこらえることができない。
兵頭長雄(元ポーランド大使)

近代化以降第二次世界大戦まで、日本と日本人は < 弱いもの=抑圧される側の側に立ってきた >ように見える。
(英語ではThe second world war(第二次世界大戦)と呼ばれるが、日本から見た名称は大東亜戦争である)
大東亜戦争には二つの意味があった。米国から原油などの資源供給を断たれたために日本の必要とする資源を
東南アジアに奪いに行かなければならなくなったという意味と、日本がアジアをリードして西洋の搾取・抑圧から解放するという意味だった(注1)(注2)。
中国や朝鮮は侵略戦争とみなしているが、インドネシア、シンガポール、マレーシア、ミャンマー、インドといった西洋諸国の搾取対象の植民地であった国々では日本人が教育し訓練した独立政権部隊が中心となって独立戦争を経て国家として独立を果たした。(注3)インドネシアでは2000人ほどの日本人兵士が武装解除に応じず現地に残って戦った。
<侵略>という言葉で日本の歴史を自虐する人々は、西欧の植民地では現地民を教育・訓練することはなかったことを軽視している。
注1)GHQ総司令官 D.マッカーサー元帥は次のように言っている。(1951年5月3日・米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会における発言、
  名越二荒之助『世界から見た大東亜戦争』展転社)
  "(日本には)石油がない、錫がない、綿がない、ゴムもない。その供給を全て絶たれたら、どんな小国でも戦争を決断する。"
  日本人は、もし原材料供給が断たれたら(経済封鎖されたら)一千万から一千二百万が失業するのではないかと恐れていた。
  それ故に、日本が第二次世界大戦に赴いた目的は、そのほとんどが、安全保障のためであった。
  『【日本に誇りを】大東亜戦争(太平洋戦争)の名言』
  GHQ参謀部長 C.ウィロビーも次のように言っている。
  "東京裁判は史上最悪の偽善だ。もし米国が同じ立場だったら日本と同じように戦っただろう"

注2)戦後10年目の1955年にインドネシア・バンドンに集まった欧米諸国の植民地支配から独立したアジア・アフリカの
  29か国の首脳が集まった会議(通称バンドン会議)に招待された日本代表は、
  『日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々は今もイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった』
  『あの時出した大東亜共同宣言が良かった。大東亜戦争の目的を鮮明に打ち出してくれた』
  『アジア民族のための日本の勇戦とその意義を打ち出した大東亜共同宣言は歴史に輝く』と称賛された。
  初代国連大使・加藤俊一によると、日本が会議の翌年に国際連合に参加できたのもアジア・アフリカ諸国の
  熱心な支持があったためだという。

注3)中国・韓国に対してはインドネシアの将軍が反論してくれている

杉原千畝がナチスドイツとロシアに挟まれたリトビアから6000人ものユダヤ人を救出した活動は、ナチスドイツの意向をくむ本国・軍部の意向に逆らうものであり、自らの職を失うものであったが、 < 弱いもの=抑圧される側の側に立った><人種差別をしない>個人の行動だった。

人道的な救出劇ではないが、終戦直後の期間にソビエトの捕虜となった日本人元兵士たちが行った工事が、
現地の人々に日本人への尊敬を生み出している例もある。

第二次世界大戦後、日本は表立って紛争に参画することはなくなったが、 < 弱いもの=抑圧される側の側に立った >行動はなくならなかった。

中村哲医師がアフガニスタンで行っている30年以上にわたる医療、水源確保(灌漑用井戸掘削・水路建設)、農業支援の活動は目を見張るもので、ナンガルハール州ではカンベリ砂漠(2x40km)の砂漠の緑化農地化に成功している。

近藤亨氏はネパールの不毛の3000~4000mの高地ムスダンで20年以上にわたる試行錯誤の末に稲作、果樹栽培、魚の養殖に成功し、国家最高栄誉賞を受賞している。


秋野豊氏はタジキスタンで内戦の終結に努力し、1998年志半ばで亡くなったが、内戦が終結した現地ではラストサムライと呼ばれ、友好勲章が送られ、名前を関した秋野豊工科大学も建てられた。

柏田雄一氏はウガンダの現地の職を作るべくシャツの工場を立ち上げ「ウガンダの父」と呼ばれた。


なぜ個人の日本人が見ず知らずの国でここまでするのだろうか?

見返りなど期待できない弱く貧しい人々のために?

実際に現場を見てしまうと、本気になってしまう。家族を放っておいてもやらなきゃという使命感に突き動かされてしまうのだろう。
これはアインシュタインの言っていた< この国の人に特有のやさしさや、ヨーロッパ人よりもずっと優っていると思われる、
同情心の強さ>なのかもしれない。

トルコが親日的になったきっかけとなった明治時代(1990年)に起きたエルトゥールル号難破事件は、台風の嵐の中で難破し瀕死の状態で海岸に流れ着いた乗員を、外国人を見たこともないような漁民たちが危険を冒して人命救助し、足りない食料を皆で持ち寄り介抱したことが始まりだった。
助けられた乗組員たちが健康を取り戻し日本の軍艦で母国に届けられた後、山田寅次郎という一塊の市民(茶道家の跡取り息子)は何故かすごい熱意でエルトゥールル号の犠牲者の遺族に義援金を呼びかけ、集まったお金をもってイスタンブールまで届けに行ってしまった。

西洋の一般市民は見ず知らずの国の人にそんなことはしないのだろうか?
何の得にもならないならしないのかもしれない。
日本人はなんでそこまでするのだろう?
見返りを期待しない、一般市民のこういう道徳感覚はどこからきているのだろうか?

エルトゥールル号にかかわった市民はそれで何の得もしなかったが、日本人は「徳」を積んだといえる。
大昔の彼らの行動が、相手国の市民に強い感情を長い間残した。エルトゥールル号難破から95年後のイラン・イラク戦争の戦時下、
テヘランに取り残されてミサイル攻撃の秒読みの窮地に立たされていた200余名の日本人を救ってくれたのは、日本の航空会社でなく、日本への恩義を忘れていなかったトルコのイラン大使と大統領とトルコ航空の勇敢な乗務員たちだった。何という事だろう。
こういうことは全ての日本人が知っておくべきだ。また100年後に恩を返すことがあるかもしれないのだから。

日章丸事件は損得が絡む話ではあるが、日本政府でなく日本人(出光佐三社長)が原油メジャーという巨大資本と英国海軍が封鎖しているペルシャ湾をかいくぐって、搾取・抑圧されていたイランから原油を買い付けた、
今にしてみればうそのような実話だ。

最近では台湾と日本でも災害支援の温かい応酬をしている。1999年の台湾中部地震(021地震)に対し
日本は救援隊を送り込むだけでなく多くの義援金を贈った。
その後の2011年の東日本大震災には台湾は救援隊と200億円を超える義援金を送ってくれた。
日本政府は中国の顔色を窺って公式には大っぴらな感謝を表明をしていないが、天皇陛下も卓球の福原愛さんを捕まえて台湾の方にお礼を述べてとお言葉を述べているし、一般市民は市民のレベルで何年たっても感謝の言葉を台湾人に送り続けている。
そして2018年台湾島北部の花蓮地震の被害に対して日本は再び救助隊と多額の義援金を送っている。

SNSの時代なので多くの若者はお互いのやり取りについてかなり知っていると思う。

トルコで大地震、中国で大地震、ネパールで大地震、メキシコで大地震、チリで地震、台湾で大地震、タイで大洪水、フィリピンで大型台風被害、ラオスで洪水…
各国で災害のたびに、日本政府は支援物資を送りレスキューや医師団を送る。
ネパールでは破壊された建物の復興支援をしているし、フィリピンの大型台風被害には自衛隊を出動している。
マラウィがイスラム過激派で破壊されると水・食料だけでなく仮設住宅建設のための重機や資材まで無償提供している。
まるで国際救助隊(サンダーバード:人形を使った1960年代のテレビ番組)のようだ。
日本のレスキュー隊や自衛隊は必死に場合によっては徹夜で)作業するだけでなく、遺体を発見した時、全員で黙とうを捧げる。
日本人にとっては当たり前の感覚だが、こういう礼儀はほかの国の隊ではないらしく、現地では強い好感を持たれている。

セルビア・ボスニア紛争時、NATOの空爆と経済制裁によって困窮していたセルビアに対して、日本はバスを100台近く送り、病院や橋を再建したり支援している。日本人はほとんど知らないが、相手の国民は本当に感謝している。
最近ではキューバには100台の清掃車を送ることになっているし、ナイジェリアには救急車を43台送る支援をすることになっている。
19年3月、カンボジアで日本人がタクシー強盗殺人を犯したとき、 日本大使館の領事事務所所長が23日、遺族を弔問して謝罪し、義援金などを手渡した。大使館がということは日本政府が遺族を慰問して謝罪するということは、相当珍しいことらしく、当該国では「さすが日本は責任感が違う」とむしろ日本への好感がより高くなったという。日本人としてはこれも至極当たり前の感覚だ。

相手を人種で差別しないだけでなく、相手に対して深い同情心を持ち、困っている人々を本気になって 助けようとする「日本人」。
探してみると、こういう日本人はいまだにいるし、政府もできる範囲ではそんな動き方をしている

イスラム原理主義ISSによるシリア難民に対しては政府はイタリアやドイツのように受け入れるようなことはできなかったが、トルコなどの難民キャンプに支援物資を送り続けている。

ウクライナがロシアの圧力で分断されたとき、親日的なウクライナは日本に期待したと思われるが、
ロシアと北方領土の交渉を続けているためか、残念ながら日本はロシアと対立できず、まともな支援ができていない。
ウクライナはロシアに天然ガスの供給を止められると暖房に使うエネルギー源がない。

イスラエルびいきの米国からイランが不当に制裁を受けている件についても、日本は米国に逆らってまで取引はできていない。
政府にできることには外交的な限界はあるようだ。

イラク戦争後のサマーワの復興支援に乗り込んだ自衛隊は、まさに日本人のやり方を貫いた。
紛争地域かどうか不明な場所に派遣された隊員たちやご家族の方々は大変な不安があったと思うが、素晴らしい働きをした。
他国の部隊は命令するだけで自分たちは働かない一方、自衛隊の人々は全員現地の人と一緒になって道路づくりなどの労働を行い、飯も一緒に食い、話をした。暑いさなかにはアイスクリームも配ったりして仲良くなったのだ。他国の部隊は5時になるとさっさと引き上げるところ、自衛隊は仕事の区切りがつくまで残って真剣に仕事をするので、現地の人々に歓迎された。
部隊のキャンプ近くに砲弾が撃ち込まれる事件が起こると、当地の部族長が何者だろうと自衛隊に手を出す奴には報復すると啖呵を切ったし、現地の人々が自衛隊を守れとデモを起こした。(武器を持たない地元民に囲まれて守られる軍隊なんてそうない)
サマワの自衛隊の件はアラブ諸国に「日本だけは信じられる」という強い印象をもたらしたようだ。

相手がどこの国の誰であろうと相手を尊重して打ち解けて仲良くしようとする態度は、テレビ番組でもおなじみの光景かもしれない。テレビ東京系列の『ニッポンに行きたい人応援団 』は毎度いろんな国の人を招待して、たい焼きの修行をしたり、定食屋で修業したり、くぎを使わない江戸小物を作ったりと、日本でなければ経験できないさまざまなことをその筋の専門家の家に泊まり込んで教えてもらうのだが、登場する日本人はどの人も偉ぶらず、相手が何国人だろうと親切で、言葉が通じないのにも関わらず通訳を通して親身に教えてくれ、家族でごちそうしたり、大切な道具をプレゼントしたりして、たいてい海外からの訪問者は感激して、見送る日本人家族と 涙の別れをして帰っていく。
その光景は毎度あったかい気分にさせてくれる。

この一般市民レベルの異邦人に対する態度は明治の西洋人の見たものと変わっていないかもしれない
東京オリンピック招致のキャッチコピーになった『おもてなし』はある意味で伝統的なものなのかもしれない。

しかし、こちらが外国に出かけて行って(個人の場合、自分の持ち出しで)全力で現地の人々を助けることとなると、<深い同情心>だけでは説明できないだろう。
自分がやらねば誰がやるという<義侠心(男気)のようなものが一部の日本人にはあるのかもしれない。

アインシュタインが書いた<ヨーロッパ人よりもずっと優っていると思われる、同情心の強さ>とは、この他人のために全力を尽くすという義侠心を指しているのかもしれない

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